優秀なマネージャーが、難易度の高い仕事を部下に任せることができずに、一人で抱えてしまうことが実は組織の生産性におけるボトルネックになっていることがあります。
多くの場合、自分がやった方が早いし効率的と考えてしまうので、自分がやってしまうことが生産性を下げてしまっていることに気づきにくいものです。 そんな企業が、ボトルネックに気づき生産性を改善し、さらに社内を活性化することに成功した事例を紹介します。
新規顧客開拓で顧客企業の製品を知らない弱み
産業機械向けに重要パーツを供給することで収益を上げている金属加工業のE社は、この数年で少しずつ売り上げが減り始めていることに不安を抱き始めていました。
売上げ減少の原因は、お得意様企業の対象となる製品群の需要が減少しつつあることだとわかっているのですが、この製品群の需要がこの先回復するものなのか、あるいはさらに減少していくものなのか、もしさらに減少するならば、どれくらいの時間で自分たちの商売にどういう影響が出てくるのか、自分たちで予測を立てて、対応策を考えなければならないことは理解していても、今はまだ注文が続いているため、なかなか本腰を入れて対応策を練る状態までは至っていませんでした。
とにかく、新たなビジネス、新規顧客を開拓しなければならないことだけは確かであり、そのためにM課長は日々奮闘していたのです。
ある特殊な加工技術で競合企業との差別化を図っていたE社でしたが、加工技術については多くの知見やノウハウがあるのですが、顧客企業の製品の内容は良くわかっていません。
作り上げる部品に対する顧客からの様々な要求はわかっていますが、新しい顧客を開拓しようとすると、その企業の製品に貢献するために自社の技術がどう活かされるかを、新規顧客からの問い合わせのたびに確認しながら、提案を進めています。
新規顧客からの要求をヒアリングして、自社技術の特徴を活かして、顧客企業にメリットのある提案をすることでビジネスを広げていこうとするわけですが、この仕事は、E社の中でM課長しかできないというのがE社内での共通認識でした。
新規案件を獲得する現状の仕事のやり方を分析する
E社のT部長とM課長は、現状を打破するために外部のコンサルタントに依頼する検討を始めることにし、F社の芳賀氏と何度か面談して芳賀氏に依頼することを決めます。
芳賀氏は、まずE社における新規案件を獲得するための仕事の流れについてヒアリングをします。
上図のように、E社の新規案件はホームページからの問合せと営業活動の2つの切り口があって、そこで見込み顧客からの引き合いに対して、E社の技術で対応可能かどうかを検討し、対応できそうであれば試作を提案し、顧客が受け入れれば実際に試作を行った上で、顧客要求を技術的に満たすことができたかどうかの評価を行って、試作品と評価データを顧客に提供します。
これらの仕事の流れをコントロールしているのがM課長で、M課長が顧客要求に対する技術検討を行い、必要に応じて部下に調査のための実験作業を指示します。
また、試作することになれば、基本的なやり方をM課長が指示しながら実際の作業は部下たちが行うという流れになるようです。
見込み顧客の引き合いを得るために、ホームページも営業活動も、E社の加工技術の強みを紹介することで、見込み顧客に興味を持ってもらい、次に「こんなものが出来ますか?」という見込み顧客からの問いかけを期待するわけです。
試作品と評価データを受け取った見込み顧客は、自社製品とのマッチング評価を行って、採用の可否を判断します。
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この流れを理解した芳賀氏は、M課長に質問します。
「この流れの中で御社の困りごとは何ですか?」
少し考えてからM課長は答えます。
「お客さんの製品について知識がなく、部品図面の上でだけの議論なので、お客さんの本当の要求が理解できていないのかもしれないと感じることです」
芳賀氏は頷きながら続けます。
「なるほど。では、どうやってそれを克服しようとされてきたのでしょうか?」
「とにかく、お客さんとの直接のコミュニケーションからヒントを得るしかないですね。」
「それが出来る人、あるいは今やっているのは誰なのですか?」
「私ひとりでやっています」
「他の人は出来ないのですか?」
「正直、まだ任せられる人はいません」
ここで芳賀氏は質問を変えます。
「ホームページからの問合せと営業活動からの引き合い件数は十分にあると思いますか?そして、今までの引き合いから大きなビジネスは生まれていますか?」
この質問にはM課長ではなくT部長が答えます。
「引き合いの数は十分とは言えないかもしれません。というのは実際になかなか大きなビジネスに繋がっていないからです。しかし、引き合い案件に対する技術検討をしたり、そのための調査をしたりというのも手間がかかるので、今、急に引き合い数が増えるとこちらが対応できなくなる可能性もあります。引き合い数を増やしてビジネスチャンスを広げるよりも、引き合いから実ビジネスに繋げる確率を上げるかということが必要なのだと思います」
「状況は良くわかりました」
芳賀氏は笑みを浮かべながら答え、T部長とM課長に支援方針について説明を始めます。
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芳賀氏はまずE社の現状を以下のように解説します。
新規案件を獲得する仕事、あるいは情報の流れを考えたときに、大きな2つの課題があると指摘します。
情報の流れは、
E社の技術紹介→見込み顧客の興味→引き合い情報→引き合い情報の認識・コントロール→技術検討→顧客への提案→顧客の提案に対する検討→試作依頼→試作・評価→顧客の採用可否検討→受注
のようになり、この中で全体の流れに対するボトルネックになっているのが、「引き合い情報の認識・理解」、つまりM課長が一人で行っている案件情報の交通整理が、全体の仕事と情報の流れ量を制限しているということで、これが一つ目の課題です。
二つ目の課題は、「E社の技術紹介→見込み顧客の興味」のところで、E社都合の情報しか流れていないことで、本当に顧客が求めているものとのマッチングが取れずに、そもそもE社に入ってくる案件の基本情報の質が低いことが問題だということです。
T部長とM課長は、芳賀氏の説明のポイントは理解したものの、ではどうしたらいいのですか?という疑問が沸いてきます。
芳賀氏は以下の2つのことをやっていきましょう、と提案します。
- 部品メーカー(E社)が顧客製品のシステムを知る必要はないという常識を捨てる
- 引き合い情報の認識・コントロールはM課長しか出来ないという思い込みを捨てる
この提案を聞いて、T部長とM課長は顔を見合わせながら、さらに「どうやって?」と聞き返します。
芳賀氏の提案についての解説
E社のコア技術はXX加工技術という金属加工の中でも特殊な技術であって、これが出来るのは日本国内でも数社だけという技術です。
しかしながら、少し特殊過ぎるところもあって、金属加工の専門家でなければ、XX加工技術と言われても簡単には理解してもらえません。
E社のホームページでは、実際に加工している動画を掲載したり、出来上がったパーツの特徴などを紹介することによって、XX技術についてアピールをしています。
確かに、顧客企業で加工方法について悩んでいて、色々と調査をした結果、XX加工に行き当たった場合には、引き合いに繋がるのかもしれませんが、システムについての悩みとXX加工技術がつながらなければ、E社への引き合いに繋がりません。
つまり、E社として、もう一歩顧客に近づいたことを示すアピールが必要というわけです。
新規案件獲得のための仕事と情報の流れを川の流れに例えると、川の水の量が少ないことと、水の質もE社が本当に欲しい質になっているかどうかが良くわからない状態になっているということなのです。
顧客に寄り添う情報を発信することで、入ってくる引き合い案件の質を高めて、実ビジネスにつながって発展する確率を高めることができるようになります。
そして、もう一つの課題である引き合い情報の認識・コントロールについては、確かに重要な仕事であり、この仕事の質がビジネス受注量と質に大きく影響するので、誰でも出来るわけではないのですが、今の状況だと、M課長一人がこの仕事をこなすことが全体の流れのボトルネックになってしまっています。
つまり、川の流れでいうと、一か所だけ川幅が狭いところがあって、そこで川の流れ量が制限されているような状態だということです。
狭まった川幅を広げてあげることで、仕事と情報が流れる量を上げることができて、それによってビジネスが広がるチャンスが増えることになります。
2つの提案は、言い換えると
- 案件情報の質を高めるために顧客との距離を縮めること
- M課長が取り仕切っている案件コントロールというボトルネックを解消する
という施策を実現することになります。
具体的な取り組み
では、具体的にやっていくことは何かということを解説していきます。
まず、2つのことを実現するのは、一朝一夕ではいかないことをT部長とM課長に理解してもらいます。
組織の体質改善という意味合いが強いので、幹部社員だけでなく、一般社員も含めた意識改革も必要になってきます。
芳賀氏が提示した具体的な取り組みは、フラグシップ製品を作って顧客に自社のコア技術をPRすることです。
加工技術を専門的にPRするのではなく、顧客製品の中に入って価値を出していることを示して、より具体的に顧客に加工技術の価値がアピールできるということなのです。
フラグシップ製品を作るということは、顧客製品のシステムを理解していることになり、顧客にとっては、パートナー企業として距離感が縮まるわけです。
しかし、コア技術を使ったフラグシップを作るためには、これまでE社に欠けていた顧客製品のシステムを理解するということが必要になってきます。
これをM課長だけでなく、社員全員で取り組むのです。
ここで疑問が浮かぶのは、どんな製品をターゲットにするかということです。
そもそも製品システムに対する知識があまりない状況なので、ターゲット製品を決めるのも簡単ではないという疑問が浮かびます。
キーとなることは、様々な製品についての知識を組織的に吸収していく習慣をつけることです。
今の世の中、様々な情報がネット上に溢れています。
銃の設計図まで誰でも入手できる世の中なのです。その気になれば、どんな製品に関する情報もネットから得ることができます。
もちろん、その領域の製品作りで勝負するわけではないので、あくまで目的は自社の加工技術の価値を伝えるために製品を知るということです。
要するに、狙いを定めた製品について中身を知ろうとする動機があるかないかなのです。
もちろん、E社の加工技術が活用できない製品を狙っても仕方ありません。過去に問い合わせがあったけどビジネスに繋がらなかったもの、他の類似技術や類似パーツが採用されている製品などを手掛かりにします。
そして、未知の製品について理解を深めていくのに、とても良いツールがあります。
F社の芳賀氏が勧めたのは、因果関係マップというツールを使って、製品原理を読み解いていくことです。
因果関係マップは、製品の顧客価値を変数として捉えることから考え始めます。
そして、対象製品の顧客価値を得るための技術変数を挙げていき、顧客価値変数と技術変数と因果関係で結んだチャートというのが因果関係マップということになります。
因果関係マップは、顧客価値変数を高めるために、どの技術変数を変化させなければならないかを見える化したマップなのですが、特に重要なのは、顧客価値変数同士でトレードオフが発生する場合に、どの技術変数がトレードオフを引き起こしているかを見つけることが出来るツールになっているので、トレードオフをブレークスルーすることでイノベーションのポイントを見つけることが出来る非常に優れたツールなのです。
このツールを使いながら、対象製品への理解を深めつつ、自社の加工技術が製品の顧客価値にどう関係している、あるいは関係することが出来るかを深堀することが出来ます。
参考記事:「因果関係マップを活用して製品開発革新を加速させる」
E社でやったことは、週に2時間、メンバーで集まって一つの製品に関する因果関係マップを作成することです。もちろん、製品に対する知識がないので、ネット検索などを使ってメンバーで手分けしながらたくさんの情報を入手しながら、そしてメンバーで議論しながら作っていきます。
知らない製品の分析を10回も繰り返せば、製品システムを分析する方法を自然に身に付けることが出来るとともに、システムがどうやって出来ているかについても理解が深まります。
そして、当然のことですが、製品を分析しながら、自社の技術が活用できないかどうかのアイデアを出していきます。
面白いアイデアが出れば、とにかく作ってみればいいのです。
ちょっとした簡易的なものを使って、自社技術が顧客価値向上に役に立つのかを検証していけばいいのです。
そして、アイデアの質が高いと認められれば、自社技術を活用して対象製品を試作することで、フラグシップ製品とすればいいのです。
見込み顧客との関係性を強化して距離感を縮めるために、Webマーケティングなどを活用することが広く普及していますが、もちろんWebマーケティングも有効な手段ではありますが、まずは、フラグシップを作る、あるいは作るための体制を構築することで、E社側として顧客に一歩近づく努力をすることになります。
これは部品メーカーとして新規顧客、新規ビジネスを獲得するためのとても大きな一歩になると確信します。
さらに、メンバー全員でフラグシップを目指す習慣、あるいはフラグシップ製品作りの体制を構築することは、2つ目の課題、つまり案件をコントロールするM課長の役割を他のメンバーに振り分けることに繋がるのです。
顧客製品のシステムを理解すること、そして自社の加工技術と製品との関係を理解することは、まさに引き合い案件の可能性を判断するための必要不可欠な条件になります。
色々な製品の原理を分析する習慣は、製品システムと個別の技術との繋がりを理解することに通じ、顧客企業とのコミュニケーションを充実させることになります。
週に一度の検討会を繰り返すだけで、十分に案件をコントロールする能力が備わるというわけです。
もちろん、個人個人の資質の問題もあるので、全員が案件コントロールが出来るようにはならないかもしれませんが、少なくともM課長の仕事を分担できる数人の後継者は育つはずです。
M課長以外の複数のメンバーが引き合い案件を深く理解し、技術検討を指揮することが出来るようになれば、E社の新規案件獲得のための仕事の流れのボトルネックを解消することができます。
関連記事:「新規顧客開拓にコア技術を使ったフラグシップ製品を企画させる企業研修」
二年後の振り返り
芳賀氏の指導を受けながら、E社では全メンバーで週に一度の因果関係マップを使った製品分析と自社技術活用のアイデア検討を一年間継続し、その結果、E社は2つのフラグシップ製品を作ることに成功しました。
E社の営業活動は、これまでの加工技術を全面に出すやり方から、加工技術のPRと、その技術を使ったフラグシップ製品の価値を訴求するようになり、顧客からの引き合いを増えていきました。
フラグシップ製品を展示会などに出すことも出来るようになり、展示会からの引き合いが来ることも増えていきます。
顧客との関係性が増えてきたことで、月に一度の顧客へのメール配信も始めました。
顧客からの引き合いは、一年で2倍程度になったのです。
さらに、芳賀氏の指導を受けてから約一年後には、中堅の2人がM課長の案件コントロールの仕事を手伝えるようになっていて、案件処理がボトルネックになる状態からも解放されていました。
活動開始から2年経って、減少傾向だった売り上げも増加に転じ、社内に活気が出てきたそうです。